山岸凉子文学館
夜の女王ニュクスの帳の下の片隅、小さな灯りをともして本を繙くとそこは山岸凉子の文学館。
カテゴライズの夜が更けて、東の空がほんのり白むまで、しばしときを忘れて活字の世界をたゆたって・・・
山岸凉子先生の作品に関連する文学作品、書籍を集めてみました。
完成の目途が一向に立ちませんので、不定期に順次更新していきます。
紹介されている書籍の訳本は管理人が現物確認をしたものです。
なお、現在では多数の訳本が出版されていることと思いますので、参考程度にお受け止めください。
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アラベスク第2部 1974〜1975年作品 アラベスク第2部(白泉社文庫)他収録new! |
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関連書籍 |
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アラベスクの登場人物カリンのセリフ 「ねえ あなた テナンの話を知ってる?・・・略・・・テナンは愛する時と憎んでいる時の表情が同じだったのよ」 このエピソードは普通のギリシア・ローマ神話には入っておらず、小川国夫の本で知ったと山岸凉子先生みずから、ペーパームーン誌(新書館)のインタビューで話されている。(1978年当時) このテナンとピセアダイの出典は、どうやら上記の小川国夫著「一房の葡萄」中に編まれた「愛と憎みの顔」であるようだ。「愛と憎みの顔」というごく短い随筆の初出は「青銅時代」という詩と評論の同人誌で、掲載されたのは第二号(昭和36年8月)原題は<神馬テノン>であったらしい。(「一房の葡萄」巻末より) 冬樹社より刊行された「一房の葡萄」は350部限定で、毛筆の署名が入っている。現在、この本を入手するのは少しばかり困難かと思われる。(といいつつ、管理人は家の近くの古本屋で300円で入手した^^;この値段は、うれしいやら、悲しいやら・・・) 1975年には角川書店で文庫化されているが、こちらも約30年前のもので、増刷され続けているとはちょっと思えない。 参考までに 角川文庫 随筆集一房の葡萄 小川国夫 0195-131104-0946(0) ちなみに、冬樹社という出版社は現在ではありませんし、ペーパームーン誌もありません。「新書館」は健在。バレエ関連の書籍を多く出版している。 余談、管理人は、山岸先生の秀作「セイレーン」に出てくるギリシア語は、この小川国夫の著書を参考にしているのではないかとふんでいる。(2004/4/26) |
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「アラベスク」について アラベスクの関連本はまだまだ続きますので、最後に書こうと思います。 |
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あらら・内輪話 1982年作品 瑠璃の爪(あすかコミックス)他収録 |
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関連書籍 |
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山岸先生の年齢を考慮すると、昭和28年に函館市内の小学校で使用された教科書と思われる。残念ながら、当時の函館市の教科書は調べがつきませんでした。したがって、作中の「海は ひろいな 大きいな」が掲載されているのが、どこの出版社のものかは全く分かりません。縦書きであることから、多分こくごの教科書と思われますが・・・。 ちなみに、教科書が無償配布になったのは1962年3月31日から。余談、私は男の子の塗った薬はタイガーバームのような気がする。何の根拠もないのですが。 |
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お父様の読んでおられた新聞。これはもちろん北海道新聞。当時の山岸先生のお父様は、将来自分の子のインタビュー記事や、世界的バレリーノと対談する記事がこの新聞に掲載されるとは、よもや思ってなかったでしょう。 余談、真っ黒い羊羹のアイコンがなかったです^^; |
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以下、マンガ中から抜粋 「ブラッドベリの作品に 怪獣の子供を捕らえて 大儲けしようとしている 連中の所へ 海の向こうから 親怪獣の遠吠えが 近づいてくるって話が あるからね」 この話がブラッドベリの何という作品なのか、ず〜〜っと謎でした。幾ら作品集を探しても見つからず、もしかしたら、82年当時はまだ未訳のもので、このセリフを言った佐藤史生さんは原文で読んだのかも?と思ったほどでした。 それで、ふと思いついて、ネット上のブラッドベリのファンサイトの掲示板で質問したところ、ブラッドベリの作品ではないが、よく似ているという短編を教えていただきました。 S-Fマガジン 1967年 8月号 「フリッチェン」 チャールズ・ボーモント 読んでみましたところ、上記のあらすじとほぼ一致しています。厳密にいうと、「海の向こうから 親怪獣の遠吠え」という描写ではありませんが、物語の舞台がどうやら海沿いであるらしいので、当たらずも遠からずといったところでしょうか。 山岸先生の「押し入れ」という作品が、マンガ家美内すずえさんから聞いた話を10数年以上たってからマンガに描いたように、このブラッドベリの話も82年より大分前に聞いた話かもしれません。大泉サロンの頃かも?ですので、記憶違いでブラッドベリということになってしまった可能性もなきにしもあらず^^; ちなみに、このS-Fマガジンでは、「フリッチェン」という短編の後、ブラッドベリの中編「火と霜」が掲載されています。 special thanks to Haro san & Hoshiduru san |
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「あらら・内輪話」について 山岸先生のエッセイコミックは大好きです。特に、北海道のほうの昔話が好き!白状すると、管理人は「白眼子」とからませて、山岸凉子昭和懐古館というコーナーを作りたいと思っているのです。(ちょっと日常から時間がとれなくて、思ってるだけなのですが) 「あらら・内輪話」を初めて読んだときに、まず最初に思ったこと。ゴジラの子供はミニラや!管理人はミニラを肩車しているゴジラの姿を覚えています。ミニラは、ドーナツ型の煙をポッポッポッと口から吐き出します。山岸先生がゴジラの悪夢を見ていた頃は、多分ミニラはまだ登場してなかったはずですが。(2002/5/28) |
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夏の寓話 1976年作品 天人唐草(文春文庫ビジュアル版)収録 |
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関連書籍 |
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主人公澄生がH市の留守番宅で、暇にまかせて読む漫画雑誌。もちろん小学館の「少年サンデー」のもじり。 |
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やはり澄生が読んでた漫画雑誌。これは集英社の「月刊セブンティーン」のもじり。当時は少し対象年齢が高めの雑誌だったので、この本で発表される漫画には性的描写も多少なりあった。胸をときめかせながら読んだ元少女たちも多いはず。ちなみに、「夏の寓話」が初出されたのは1976年8月号の月刊セブンティーンである。 |
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マンガを読み飽きた澄生が「たまにはこんなのも読むか 格調高く」と繙く本。「夏の寓話」が描かれた年代を考慮すると、澄生が読んだ本は昭和48年3月発行のものと思われる。1996年にも新装丁で発行されている。こちらを参照。 |
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澄生がコーラと一緒に買ってきたマンガ雑誌。これは講談社の「少年マガジン」のもじり。 |
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ヒクメットはトルコの詩人で、政治犯でもあるらしい。現在では故人。詳しくは知らない。余りに悲しい詩なので、管理人は言葉を失う。こちらを参照。参考サイト![]() |
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「夏の寓話」について 管理人の好きな作家の宮沢賢治の作品に「ざしき童子のはなし」という短編がある。遊んでいるうちにいつのまにか子供の数が増えている。だれが増えたのか、ついぞ分からない。絶対自分ではないと子供らは言い張る。 この「夏の寓話」の少女は、賢治のざしき童子のようにすいっと遊びには決して入っていかない。子供らに自分は見えていないのだと分かり切っているのだろう。唯一自分が見える青年にその姿を見せる。いや、少女はずっと扉をたたいていたのかもしれない。おいしいおかしを食べている我々をずっと見ていたのかもしれない。胸にひびいたのは、小さな声が届いたのは澄生青年だけだったのか。(2002/4/13) |
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春には青い芽が 1970年作品 ラグリマ(花とゆめコミックス)収録現在絶版 |
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関連書籍 |
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高校2年生の主人公内海文子(うつみふみこ)が古典の時間に先生に指されて、あこがれの君から助け船を出してもらうシーン。15行目「左右衛門の乳母(めのと)とて・・・」の文の助詞の種類を上げるように言われ、「修飾助詞、接続助詞、終助詞」と続く。管理人は古典は苦手なので、助詞の定義すら忘れています。 |
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主人公文子が美人の意地悪ライバルにからかわれたことを、逆に即興劇で切り抜けてあこがれの君にうまく告白させるシーン。コミカルに演じているが、主人公は内面深く傷つく。山岸初期短編の主人公は、こういうナイーブな少女が多かった。ナイーブ=傷つきやすいとご理解ください。 |
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傷ついた文子が部屋に帰って開く本。サーカスのピエロのお話なのだが、これは山岸先生の創作か?管理人は「魔法の木」という本を所持しているが、これは全く違う話。(何と、フォークナーの童話!)この文子の読んだ「魔法の樹」というお話は、1976年に発表された同じくピエロのお話である萩尾望都さんの「泣き虫クラウン」という童話と対称的で興味深い。 |
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「春には青い芽が」について この作品は山岸先生のデビューから10作目に当たるもので、今となってはごくごく初期作品に分類される。この頃の短編では明るい学園ものが多い中でも、主人公をねこっかわいがりしない作者の姿勢がすでにもう確立している。 冒頭に出てくるニャロメこと赤塚先生の元ネタは、漫画家赤塚不二夫の「モーレツア太郎」のネコキャラクターから。山岸先生は氏のファンなのか、「学園のムフフフ」中でも、南妙子さんが「バカボン」を読んでいるシーンがあった。「山岸リョーコのマンガを読むのだ!」管理人は、デビルマンのレコードを所持しているので、著作権がなかったらweb公開したいところだ^^;ちなみに、「白眼子」に出てきた「ブースカ」のレコードだって持ってるよん。(2002/1/2) |
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鬼 1995年作品 鬼(希望コミックス)収録 |
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関連書籍 |
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作中の登場人物たちの会話「コインロッカーベイビーズってなんだっけ」「誰かの小説にあったような気がするけど」これは、まず上記の村上龍の小説に間違いないと思われる。物語自体は、「鬼」本編と特に関係はない。キーワードはオムライス!管理人は80年代半ばにこの小説を読んでいるのですが、東京湾とかダチュラとかをおぼろげに覚えているだけです。ヒロインの名前はたしか、アネモネだったような・・ | |
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鬼について ありそうでなかった山岸凉子カニバリズム論ということで、この作品は自分にとって不思議な位置にある。まず、山岸凉子が初めて救いを描いたと評価されている点。そうか?山岸先生はそれほどまでに救いのない物語ばかり描いていたか?成就感を持たせることなく終わる物語は確かに多いが、読者としての自己の視点は、物語を読み終えたとき、少なくとも上を向いている。それが自分にとっては救いだったのではないか。このような物語の甘受は、読者として幸福である。そうして、私は大概の作品からそのような読者の幸福を感じ取る。次に・・と作品を論じるのは控えたいので、これでおしまい。 |
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メタモルフォシス伝 1976年作品 メタモルフォシス伝(秋田文庫)収録 |
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関連書籍 |
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久美の部屋でほこりをかぶっていた詩集。「花になりたい」は重吉の処女詩集「秋の瞳」に、「光」は没後に生前自選の第二集として発刊された「貧しき信徒」に、それぞれ収録の一遍。もちろん久美の持っていた八木重吉詩集は、このような古本屋が泣いて喜ぶ稀覯本ではなく、戦後いくつも再編集されて発行された詩集の一刷と思われる。重吉の作品には、キーツの名も出てくる。 |
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中間考査の現代国語の問題に出題された作品は、西脇順三郎のギリシャ的叙情詩の「天気」である。わずか3行の作品。(覆された宝石)は、イギリス19世紀初頭のロマン派詩人ジョン・キーツの「エンデミオン」からの引用だそうです。(新田君が言っている)管理人の家には、キイツの本はないので、調べがつきましぇん。 |
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「ぼくたちはどんな問にも たとえそれが愚問でもだ 答えを求められたらそれに答えるよう 万全を期さなくちゃならないのさ」というのは、偏差値70の進学高校の秀才新田君の言。これとよく似た名言が、約10年後に書かれた小説にあるので紹介したい。「長短除外の法則」「正論除外の法則」を世に知らしめた清水義範氏の小説「国語入試問題必勝法」の一文である。「愚問に対しては愚答こそが正解なんだからね。」うーむ、新田君の言葉を更に煮詰め、浄化させ、あとには何の不純物も残らない心地よい真実が宝石のようにきらきらしている名言ですね。 ちなみに、「メタモルフォシス伝」と「国語入試問題必勝法」は何の関係もありませんです。(2002/1/11加筆) |
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漢文の時間、小山君が先生から読んでと指された部分。これは李白(りはく)の「秋浦歌(しゅうほか)」、五言絶句。このとき、うまく読めない小山君に対して、漢文の先生の「どうした?れれ」というセリフがきいてます。 |
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大田原君の読んでた麻雀入門書。著者の阿佐田徹夜のモデルは、やはり故阿佐田哲也氏でしょう。氏の著書に麻雀関係の本は多々ありますが、「麻雀道場」という題名の入門書はないようなので、架空のものらしい。阿佐田哲也の別名は色川武大(いろかわたけひろ)、映画化された麻雀放浪記の高品格はすばらしかった。 |
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メタモルフォシス伝について 管理人は、この作品を「花とゆめ」誌上で読んでいるのですが、花とゆめコミックスとして刊行されたとき、いわゆる柱の部分に「凉子のワンポイントゼミ」という、文字通り勉強に関する重要ポイントを簡潔にまとめたコーナーが単行本には掲載されていたのです。ちなみに、現在刊行中の秋田文庫「メタモルフォシス伝」ではこのコーナーはなぜか割愛されています。 そのワンポイントゼミ、全く理解できませんでした。(特に数学)自分はまだ中学生なのだから仕方ない。だって、高校生の勉強だも〜ん、と無理矢理自己を納得させたのですが、数年後、高校生になったとき、やっぱり全く理解できませんでした。(特に数学) この作品には名言が多い。新田君の「世の中を支配する人間が、どんなに彼等よりも勤勉でエネルギッシュであったかをね」、T大志望の紅子さんは「女だからこそ、純粋に学問をしにいけるのだものね」と言う。 結末では、謎の名(迷?)言「神とは男女を問わず 愛さなければいけない 故に 忍君とも ね・・・寝よ???」 |
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白い部屋のふたり 1971年作品 山岸凉子全集28(角川書店全集)レフトアンドライト収録現在絶版 |
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舞台はフランスであるが、エリオットの詩集を訳す授業の場面があるので、これは英語の授業だろうか。先生は、「秋」を訳すようシモーンを指名するが・・・・・。 T.S.エリオットといえば、ノーベル賞作家として、またミュージカル「キャッツ」の原作者としてまず頭に浮かぶ。 「メタモルフォシス伝」の新田君が「詩は先生もザッととばしてやったから」と言うように、日本での国語教育の一貫としての詩の授業は(詩作、鑑賞を含めて)余り重視されないが、ヨーロッパの学習風景では、実によく詩を朗読、暗唱、翻訳する場面が出てくる。 |
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さて、「秋」を訳すよう指名されたシモーンは、なぜかいきなりリルケを暗唱し始める。それは「彼女たちを知ったからには死なねばならぬ」。管理人の手持ちのリルケ詩集(富士川英郎訳)では、「彼女(かのひと)たち」と複数形であるが、シモーンは「彼女(かのひと)」と単数形で朗読する。これは、もちろん意図的なものと思われる。この詩は物語の後半、悲しい形で再度現れる。 リルケはドイツの詩人であるが、シモーンは仏訳されたものを唱えたのか、原語で唱えたのかは不明。 |
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創立50周年の学園祭で行った英語劇。もちろんロメオはシモーン、ジュリエットはレシーヌが演じる。山岸先生が漫画で描写した場面はお決まりの第二場、キャピュレット家の庭園、「一月ごとに、円い形を変えてゆく、あの不実な月、」のシーンである。 余談だが、管理人の世代にとって、この「ロミオとジュリエット」というお話は、原作よりもフランコ・ゼフィレッリ監督、オリビア・ハッセー主演の映画「ロミオとジュリエット」で初めて接した人は多いのではなかろうか。管理人は映画を見て、ロミオとジュリエットの余りのヤンキーぶりに絶句しました。 |
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白い部屋のふたりについて 1971年、この年はいわゆる24年組の漫画家たちが自己の方向性を打ち出し始めた、いわばタブーを乗り越えようと画策を練り始めた年ではないだろうか。のちに一ジャンルをなす少年愛(あえて同性愛とは区別したい)漫画の先駆を切った作品が「白い部屋のふたり」だったと言いたいところだが、残念ながらこの作品は少年で構想されていたにもかかわらず、少女の同性愛を描写したものになってしまった。理由は編集の大反対に遭ったためだという。 当時、既に竹宮惠子さんは小学館系列の雑誌で少年愛をテーマにした短編を発表し始めており、萩尾望都さんも71年秋には名作「11月のギムナジウム」を世に出している。山岸先生が描いていたりぼん誌では、時期が早すぎたのか。 わずか2年後の1973年には、りぼん誌でも一条ゆかりさんにより、「アミ…男ともだち」という寄宿舎を舞台にした少年同士の物語が発表を許されている。やはり時期尚早だったのか。 「白い部屋のふたり」発表後の翌72年には、ミシェル・デュトワの1作目「ゲッシング・ゲーム」が描かれるが、この作品も編集では問題になったらしいが、掲載誌の対象年齢が若干高めだったため、無事発表された。 余談だが、管理人は現今のやおいとかいうものは苦手です。すいません。(2001/5/12) |
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クリスマス 1976年作品 サンコミックス 赤い髪の少年収録 |
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ヘップバーンの主演した映画で名高い「ティファニーで朝食を」の原作者トルーマン・カポーティ(Truman
Capote1924-1984)の自伝的作品として、またほかならぬカポーティ自身が最も愛した作品として彼の葬儀のときに友人が朗読したと言われ評価を得ている「クリスマスの思い出」を原作としているのが山岸凉子作「クリスマス」である。見過ごされがちであるが、「クリスマス」の最終ページの左下の隅には、「A Christmas
Memory Truman Cpote」と山岸先生の自筆が認められる。 物語は大意を変えることなく進むが、登場人物、登場人物の年齢、ニックネームなどの細かい変更が多い。全編リリシズムに満ち満ちており、カポーティがミス・スックとすごした少年時代の心の幸福を読者に感ぜせしめる。 残念なことに、管理人が持っている訳本は昭和43年初版発行の少々古めのものなので、ミス・スックのセリフが「おらぁ、見ただ。」のUFOを見たアメリカの田舎のお百姓さん調であるため、山岸先生のミス・スック象とはギャップが大きい。最近の訳本ではどうなっているでしょう。 |
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関連書籍
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1951年に発表されたやはりカポーティの自伝的長編。登場人物名は「クリスマスの思い出」とは全く異なるが、ミス・スックのモデルとなっている老嬢がやはり物語の主軸である。エピソードなどは、特に「クリスマスの思い出」とは重ならないが、山岸先生の「クリスマス」出演のマーサというちょっと意地悪なお手伝いのモデルか?と思われる人物が、「草の竪琴」中では、ミス・スックの大事な相棒として大活躍する。 映画化もされているが、未見。 |
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1982年、前年に父をなくしたカポーティが初めて父について語った作品。物語は、「クリスマスの思い出」の一年前、驚いたことに実父とバディ少年が共に迎えたクリスマスのストーリーである。銅版画の挿絵がふんだんに見られるが、舞台がアメリカであることを再認識させられる。シンシナティなどの地名が出てくるのにかかわらず、管理人は、山岸先生の「クリスマス」にはヨーロピアンなイメージがあるものですから。 |
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1994年に新潮文庫から発行された短編集「夜の樹」に収録されている「感謝祭の訪問客」は、やはりミス・スックとすごしたカポーティの少年時代の自伝である。物語を読み進めていくうち、ミス・スックのイメージが山岸凉子先生のミス・スック像と見事に重なるので、この訳者は山岸凉子作「クリスマス」を読んだのでは?と疑問が湧いたのだが、訳者名を見て納得、「子どもたちのマジックアワー」(新曜社1989年刊)で山岸凉子のミス・スックの神さまのことを話すところが素晴らしいと賞賛していた川本三郎氏ではないか。この短編集はシニカルでどこかペシミスティックな都会を舞台にしたストーリーと、コミカルでさえある親族らと織りなす牧歌的なストーリーが混在してはいるが、全編どこか山岸凉子先生の漫画とつながる内面に深く深く潜り込む自己投影を感じずにはいられない。
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「クリスマス」ついて 1976年は、山岸凉子先生にとって大作「アラベスク」を終了した翌年で、童話をモチーフとした短編を発表し始めた頃である。この76年という年は管理人が最も好きな山岸短編の「シュリンクス・パーン」を発表した年であり、山岸先生は30歳を目前とし、女性としての体力と漫画技術がピークを迎え、若い頃には掴みがたかった叙情世界をも体得していく最も脂ののった時期だったと思う。また、少女漫画を取り巻く世界そのものが成熟を迎え、山岸先生のみならず、一連の24年組と呼ばれた漫画家たちがこぞって代表作となる大作を発表しだしたのもこの頃。 管理人が最も苦手な言葉に「漫画が文学を超えた」という類のものがある。漫画は漫画であって、文学は文学である、何故全く違ったものを比肩させるのであろうか。そういう管理人にさえも、山岸先生の「クリスマス」には、活字とは違った意味でのそこはかとない文学性を感じるが、やはり漫画は漫画、文学は文学。山岸先生翻訳版の「クリスマスの思い出」として、その視覚に訴える感動は大きい。「シュリンクス・パーン」の次くらいに好きな短編である。 |
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パニュキス 1976年作品 文春ビジュアル文庫 シュリンクスパーン収録 |
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イギリスの童話作家ファージョン(1881-1965)の作品集の三巻目に当たる「ムギと王様」の中の最後の一遍が「パニュキス」である。冒頭は山岸凉子の漫画と同様にアンドレ・シェニエの詩で始まるが、山岸凉子の「パニュキス」はむしろ作者エリナー・ファージョンの半生を創作をまじえて漫画化したものといっても許されるだろう。 この本の巻末の石井桃子によるあとがきには、兄ハリーとネリー(エリナーの愛称)との一種の自己催眠による二人だけの遊び、ハリーの王室音楽学校への入学で二人は離れていき、心の遊びから解放されたネリーの不安、また漫画本編にはなかったネリーの交友関係などが書かれている。 ファージョンの「パニュキス」本編には、キーツやシュリンクスなど、76年の山岸凉子作品に関連深いキーワードも認められる。 |
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フランスの詩人。フランス革命でロベスピエールの恐怖政治に抵抗したため断頭台にかけられる。牢獄で書いた詩が死後発表される。日本語訳は若干されているようだが、日本ではあまり紹介されていないようである。山岸先生がパニュキス中で使った訳は、この作品のためのオリジナル訳であろうか? |
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物語冒頭でネリーとハリーが遊ぶ「ロビンソン・クルーソー」ごっことでもいおうか、無人島遊び。 ロビンソン・クルーソーは現在ではジュブナイル小説として名高い。フライデーって犬なの? |
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お茶の時間に遅れておやつを食べ損なったハリーとネリーが、今度は「ヘンゼルとグレーテル」ごっこに転換しておやつにありつく。この後、美しいキスシーンを展開する。 ヘンゼルとグレーテルはグリム童話集の一遍。有名な話だが、ヘンゼルとグレーテルは口減らしのために森に捨てられたという、当時の庶民の生活の厳しさがかいま見られる。 |
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幼いハリーが本の部屋で2ページだけ読んだ書物。多くを語らず。 |
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「悪徳の栄え」のあとハリーが読んだ本。石に突き刺さっている剣を抜くことができる者がイングランドの王となる有名な逸話。 |
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ピーター・パンはもともとは演劇の脚本で1904年に初演された。本になって出版されたのは1928年のことなので、少年少女のハリーとネリーはお芝居で見たものと思われる。14才のハリーとそれより若干年下のネリーが窓から飛ぼうとするシーンの「飛べると思うことが飛ぶ秘訣」というセリフは、後の山岸作品で何度も形を変えて現れる。 |
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ハリーが遠くの学校へ行ってしまい、一人取り残されたネリーが読む本の登場人物。これは何の物語なのか全く不明。求む情報^^;ドイツブレーメン市のローラント像と何か関係あるのかな? |
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寄宿学校へ行ってしまったハリーと家に残っていたネリーが、遠く離れていても同じように読んでいた本の登場人物の名前。これは、ホフマンの「黄金の壺」と思われる。 |
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「パニュキス」について 山岸凉子はしばし内省的で自己の殻に閉じこもる女性を描写するが、そういった女性を大抵の場合、物語の中で厳しく罰する。自己犠牲を支払う代償なしには、なにものをも得ることはできないのだという警鐘のごとく。これが最も顕著なのは「天人唐草」である。しかし、「パニュキス」においてはそいういう仕打ちは一切ない。なぜなら、主人公のネリーは自己を客観的に省みエゴイズムを認め、その罪を告白したからだ。「あなたに愛された方がうらやましい」という素直な何のてらいも作為もない言葉、人は打算を持って生きてはいけないのだと、世俗にまみれきった管理人は反省します。 |
as the night of kategories wears...