活字登場

※他の作家の著書に現れた山岸凉子先生、山岸先生の作品を集めました。
  なお、山岸凉子作品自体の評論は含まれていません。

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反原発日記 鈴木耕(マガ9ブックレットbP 2011年7月16日)
定価(本体1,000円+税)(2011年10月現在)

※2011年3月11日に発生した東日本大震災に起因する原子力発電所の事態について、著者鈴木耕氏がサイトやツィッターから発した情報をまとめたもの。一般の書店に流通する書籍ではない。
 帯の推薦文を山岸凉子先生が担当。また、文中にも山岸先生のお名前が散見する。なかで、P78(サイトではこちら)に登場する「編集者Aさん」とは、「流々草花」の「Aさん」と同一人物なのでしょうか?だとしたら、鈴木耕氏の記すAさんのべらんめえ口調が「流々草花」の紳士然としたAさんとあまりに落差がありすぎて、管理人困惑しております^^;

ちなみに、書籍版では山岸「凉」子と校正されております。
(2011/10/2)


屁タレどもよ! 中村うさぎ(文春文庫2004年7月10日)
ISBN-4-16-765804-6 C0195 \438E
CM子役 うさぎのひとりごと 146P

山岸先生の『汐の声』を思い出すといったような短いコメントがあります。CM子役といえば、何となく想像つくかと思いますが・・・
フィールドワイ社から単行本が出ているようですが( ISBN: 4901722026、 2001/10) 管理人は文春文庫で確認しました。
special thanks to Nomanoosewagakari san (2004/8/1)


バレエテクニックのすべて 赤尾雄人あかおゆうじん(新書館2002年10月5日)
ISBN-4-403-25066-1 C0073 \1600E
第28講パ・ド・シャ 142P

※「山岸凉子さんが『アラベスク』(第1部)のなかでいみじくも・・・」というように、パ・ド・シャの項目に引用されています。いみじくも、レッスン中のミロノフ先生の言葉と同様の解説がなされています。
それにしても、アラベスク本編のこのシーンのノンナのパ・ドゥ・シャは、しっかりとプリエが描かれていますね。

参考文献 160P
※参考文献の欄に、山岸凉子「アラベスク」白泉社と掲載されています。(2003/3/30)


竹宮惠子のマンガ教室 竹宮惠子(筑摩書房2001年6月20日)
ISBN4\480\88-3-9 C0079 \1500E
大泉サロンと花の24年組  244P
サロンに出入りしたマンガ家たち 247P
※70年代初期、マンガ家萩尾望都さんと竹宮恵子さんが同居していた一軒家に、当時の少女マンガ家の改革者たちが多く集った逸話が話されています。
special thanks to Bambi san(2004/8/22)


思い出を切りぬくとき 萩尾望都(あんず堂1998年4月24日)up!
ISBN4-87282-231-5 C0095 \1400E
バリシニコフについてのおしゃべり 131P
※ダンサーのバリシニコフについての萩尾望都さんのエッセイ中に、レニングラード時代のバリシニコフを一緒に見ていた山岸凉子さんと云々という箇所があります。ちなみに同ページ内にある映画『愛と喝采の日々』とは、「舞姫テレプシコーラ」第1巻209ページで山岸先生が話されている「テレビでバレエの映画を見たんです。」と言っている映画のことです。
special thanks to Bambi san(2004/11/6)


パソコン立ち上がってますか?!(宝島社1996年6月10日)
ISBN4-7966-1101-0 C0076 P900E
おいおい…… 4P
※短篇「コスモス」(ASUKA1987年12月号初出)の「わーい パソコンだ」のコマが掲載されています。
のちに、1999年以降の単行本収録では、「パソコン」「ファミコン」に変更されています。
(2004/7/7)


じんかくのふいっち 中島らも(マガジンハウス1992年9月25日
ISBN-4-8387-0387-2 C0095 P1000E
【第11章】甘いものの誘惑 46P
※「甘党一家に育った山岸凉子さんは、目玉焼きに砂糖をかけるものだとずっと信じていたという。」という一文がある。 前記は「恐怖の甘いもの一家」には見あたらない行為だが、山岸先生から個人的に聞いたのであろうか。
special thanks to hayashisaori san


獏の食べのこし 中島らも(JICC出版局1989年3月20日)
ISBN4-8063-521-9 C0076 \880E
失恋について 240P
※『「人に出逢えば、それだけ哀しみが増えますから」というのは山岸凉子のマンガのセリフだったろうか。 』と記されているが、はて?そんな、マンガありました??


子どもたちのマジックアワー 川本三郎(新曜社1989年11月30日)
ISBN4-7885-0358-1 C1039 O1850E
捨てられた子どもたちの行方 25〜26P
※文学作品の中の少年少女、それに付随する映画、漫画、演劇等に現れる子どもたちの意識の変革を問う評論本。
序文でトルーマン・カポーティと山岸先生「クリスマス」のことに触れている。

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ショク物図鑑 もん(CBS・ソニー出版1988年12月15日)up!
ISBNN4-7897-0418-1 C076 \980E
おにぎり 28P
※Q-TAI(週刊求人タイムス)に連載された食に関するエッセイ。「ゆうれい談」のおむすびの具を当てるエピソードが紹介されている。
(2008/8/24)


まんが青春期 中島梓(集英社1986年9月25)
ISBN4-08-775090-6 V0095 \1100E
※このエッセイ集には、山岸先生の名はちらほら出てくる程度。


ことばを失った若者たち 桜井哲夫(講談社1985年9月20日)
ISBN4-06-145787-X C0236 P650E(3)
『COM』と『ガロ』 71P
※80年代のマスコミュニケーションを通じての若者社会の変容を追究する書。
デビュー前の山岸先生が『COM』の新人育成コーナーに投稿した「水の中の空」の3ページ分が縮小されて掲載されている。 このカットは「COM」63年2月号208Pからそのまま転用したもの。


林真理子スペシャル 林真理子(角川書店1984年8月3日)
林真理子書簡集 158P
※大学を卒業した頃の林真理子さんが、漫画家志望のお友達との往復書簡の中で当時の少女漫画のことに軽く触れている。

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特集ぼくらの手塚治虫先生 手塚治虫スナップ集
COMIC BOX 1989年5月号(ふゆーじょんぷろだくと)53P
※85年6月21日の角川ASUKA創刊パーティーでの角川春樹社長、手塚治虫先生らとの記念撮影スナップ掲載。


気分は今もヨーロッパ 竹宮恵子(新書館1989年6月25日)
ISBN-4-403-22035-5 C0026 P1240E
[第2章]実践編<1> 1972年秋 初めてのヨーロッパ旅行 127〜156P
※萩尾望都さん、竹宮恵子さん、増山法恵さんと同行したヨーロッパ旅行記。
訪問予定地を手分けして下調べをして、山岸先生はイタリア担当。
ストックホルムでは、山岸先生が『BAR』とはセルフサービスのお店だと知っていたので、そこで子供に間違われつつも初めて自分たちで注文して食事ができたらしい。
フランス、ベルサイユでは山岸先生と増山さんが寒さに耐えかねてオレンジ色のオーバーを買ったそう。
スイス、ローザンヌでは、山岸先生の「これがフォンデュよ」との言葉で夕食はお肉のフォンデュに決定。72年当時、日本人でどれだけの人が「フォンデュ」という料理を知っていたでしょう?
イタリア、ヴェニスでは、山岸先生は一目惚れした黒いレースのドレスを購入。どうやらこれは「アラベスク」のパーティーシーンで、おフランス帰りのノンナに着せたもよう。
153Pにはナホトカへ向かう船上で写した写真が掲載されている。中央の3人娘のうちの左側のロングヘアの女性が山岸先生と思われる。


井草日記 PART1 ささやななえ(角川書店1984年4月30日)
キネマ旬報に初出
新幹線ひかり号の四つの空席 121〜127P
※樹村みのりさんによる「京都ずっこけ女旅」をささやななえさんからの視点で書いている。

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バレエは私の「心の財産」 竹宮恵子
ペーパームーン ベジャール&ジョルジュ・ドン(新書館1983年3月15日)60P
※「バレエ通の漫画家、山岸凉子氏に誘われて・・・」とバリシニコフのこと、二十世紀バレエ団のことなどを書かれている。
special thanks to Miyabi san (2001/3/16)


ペンの向くまま気の向くままケーコタンのつれづれエッセイ 竹宮恵子up!
少年/少女SFマンガ競作大全集 キラキラ夏の号PART[2]1979年(東京三世社)72〜73P
山岸先生のオバケの話について触れている。
special thanks to Miyabi san (2001/3/16)


マンションネコの興味シンシン 竹宮恵子(角川書店1984年4月30日発行)up!
バラエティ 1979年頃(角川書店)初出

食は仕事場にあり 107P
※竹宮恵子さんのエッセイ&イラストで大泉サロンの様子が書かれたカット。
「時々来てはソソとしていた山岸凉子氏」とコメントされている。
山岸さんにとっての大泉サロンは、萩尾望都CD-ROM「サンクトゥス」に詳しい。

運がよけりゃ・・・ 154P
※1972年の山岸凉子、萩尾望都、竹宮恵子、増山法恵の4人でのヨーロッパ旅行のエッセイマンガ。 ページ右上のガイドを持って「??」と発しているのが山岸さんと思われる。

パリにて 155P
※ページ中段の左側 「ナマイキー」と言っている人と「コンチネタルブレックファースト」と言っている人のどちらか、もしくは両方が山岸さん

176ページには「レニングラードバレエを山岸涼子氏と一緒にみにいって」と記述されている。71年の公演のことだろうか?


◆わたしのバレエ体験◆空想でなりきったバレリーナ ささやななえ
ペーパームーン ニジンスキー・神への飛翔(新書館1981年5月15日)58〜62P
「アラベスク」を執筆中の山岸先生が舞台の取材にでかけるとき、ささやななえさんがお供したらしい。


京都ずっこけ女旅 漫画家 樹村みのり
新しい女性 1978年6月号(吉川書房)76〜77P
井草日記でささやななえさんも著している「盲亀の浮木」的漫画家ならではの騒動劇。
special thanks to satowsan

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