山岸凉子年譜 | |
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この年譜は、各雑誌のインタビューやエッセイ漫画などを参考に作成しました。いずれも一度活字として発表されたものですので、プライバシーを侵害するものではないと判断します。 資料に忠実に作成したつもりですが、資料そのものが記憶違いなどで間違っている場合もあることをご了承願います。 山岸凉子先生は函館、小樽、札幌と引っ越ししているはずなのですが、直江バレエ研究所入所の記事では小樽在住となっています。函館でバレエを始めたという資料をお持ちの方、ぜひご連絡ください。 |
1947年9月24日 (昭和22年) |
生誕 | 北海道空知管内上砂川町に生まれる。山岸さんのお父様と萩尾望都さんのお父様は、三井鉱山関連の同じ会社であったらしい。また、ささやななえこさんのお父様も同じ会社で父親同士顔見知りだった。 |
幼稚園 | 小樽在住。直江バレエ研究所に入所。(小1からという説もある) 昭和20年代後半の山岸家の飼い猫はサンケ。「少年ケニヤ」がお気に入り。 | |
1954年 | 小学1年 | 函館在住。クリスマスに赤いバレエシューズをはいて「うさぎのダンス」を踊る。 子供時代の将来なりたい職業、もしくはできるかもしれないと思っていた職業は旅館の女中さん。 |
昭和30年代前半の山岸家の飼い猫はタビネコのクロ。 | ||
1958年 | 小学5年 | 小樽在住。 |
1959年 | 小学6年 | バレエ発表会で『シンデレラ』全幕の主役を踊る。バレエ関連で北海道のローカル番組に出演する。 |
1960年 | 小学6年 | 北海道小樽市立稲穂小学校卒業。この頃、小樽市主催の画展で金賞をもらう。 |
中学1年 | 親に言われてバレエをやめる。札幌の啓明中学校入学。 御母堂が引っ越してすぐ病気になってしまう。 | |
1961年 | 中学2年 | 担任の理科の教師に初恋を覚える。 |
1963年 | 高校1年 | 札幌市立旭丘高校入学。漫画家の忠津陽子さん、いがらしゆみこさんは同校の後輩。 |
1964年 | 高校2年 | 里中満智子16歳のデビューに驚愕し、いきなりまんが家になろうと決心する。これより4年のまんが家修行が始まる。ご両親は大反対。 |
文化祭で、英研の発表会場で強引に自分のまんが絵を展示する。これをlきっかけに1年年下の忠津陽子さんと知り合う。その後クラスメートの紹介で大和和紀さんとも知り合う。 | ||
1965年 | 高校3年 | 『海から来た少年』という作品を描く。 |
闘病中の御母堂が亡くなる。享年47歳。1966年の年賀状に馬の絵を描くこと楽しみにしていたが、果たせず。 | ||
1966年4月 | 短大 | 北海道女子短大美術科入学。 |
短大1年 | 少女フレンドの最終選考に残る。その時の入賞者は平田真貴子さん。 | |
短大時代 | 上京して講談社の編集さんに漫画を見てもらう。間接的に漫画家になれると言われる。このときの作品はセブンコミックスの「幽霊談」収録の「フィレンツェ」か? | |
講談社への投稿で佳作をとる。ここでは合わないと担当さんが「COM」に送る。このときの作品は、第1回講談社少年少女漫画作品(「少女フレンド」1967年16号誌上にて発表)で最終選考に残った「ミーナ」という作品と思われる。 | ||
別冊マーガレットにも応募するが、ここでも佳作。 | ||
「COM No.2」のまんが予備校に19歳の山岸さんの作品「水の中の空」が入選する。後に発表される「水の中の空」とは別物。 | ||
1968年3月 | 20歳 | 北海道女子短大美術科卒業。 |
1968年4月 | 北海道地下資源調査所に就職。給料は1万8千円、そのうち1万円を上京資金のために毎月貯金する。 | |
1968年 | ボリショイバレエを初めて見る。演目は「白鳥の湖」 | |
1968年 11月頃 |
21歳 | 10万円たまったので会社の休みをとって上京。忠津陽子さんの紹介で集英社のマーガレット編集長に2作の漫画を見てもらうが、評価は思わしくなかった。傷心の面もちで集英社内のりぼん編集部を訪ねたら、りぼんコミック新創刊の企画と重なり評価される。 |
りぼんコミックの編集さんに体操ものの作品書いて送るが、ベテラン漫画家が体操ものを連載する事になっているので、別のスポーツものを書いたらそれを無条件で新創刊のりぼんコミック5月号に掲載しましょうという手紙をもらう。 | ||
1969年5月 | 「レフト&ライト」でデビュー。このときの稿料は1枚1200円。 | |
1969年11月 | 22歳 | 大和和紀さんをたよりに上京する。西日の強い四畳半にて東京生活スタート。 |
1970年 10月頃 |
23歳 | 萩尾望都さん、竹宮恵子さんの同居していた大泉サロンに顔を出すようになる。 |
1971年 | 時期は不明だが、この頃愛猫ケイトを飼い始める。 | |
1971年 6月12日 |
東京文化会館にてレニングラード・キーロフバレエ団公演の「ドン・キホーテ」を萩尾望都さん、竹宮恵子さんと見る。まだ新人のバリシニコフが空中で止まるのを見て、ユーリ・ミロノフはこの人だ、と決める。 | |
1971年8月 | 「雨とコスモス」で大きく絵柄を変える。 | |
1971年8月頃 | りぼんの移動漫画教室にゲストとして参加する。会場の札幌グランドホテルで漫画家のささやななえさんと対面する。そのままささやさんの作品を手伝う。この作品が何だか、どなたか知りませんか? | |
1971年10月 | 24歳 | 「りぼん」で「アラベスク」の連載が始まる。最初3回の連載予定だったが、第1回目で人気投票1位になり、長期連載となる。 |
1971年 10月末 |
九州旅行をする。このときの様子は「ゆうれい談」に詳しい。山岸先生と一緒の布団で寝ていたアシスタントのMさんは「タイムスリップ」のお地蔵様の話をした方と同一人物か? | |
1972年8月 | 猫のカムがこの頃出産する。そのうちの一匹は「メメ」 | |
1972年 7月26日 |
大阪フェスティバルホールにてキエフ・バレエ団の白鳥の湖公演に同行する。この日の夜、京都の某ホテルで恐い目に遭う。(「蓮の糸」参照)翌日、比叡山にて不思議な現象に遭遇する。(「タイムスリップ参照」) | |
1972年 9月12日 |
萩尾望都さん、竹宮恵子さん、増山法恵さんと共に横浜からナホトカの航路で44日間のヨーロッパ旅行をする。 | |
1973年 6月頃 |
25歳 | この頃は阿佐ヶ谷在住か? |
1976年 | 28歳 | 埼玉県新座市の1DKのアパートにケイトともう1匹と暮らす。 |
1977年3月 | 29歳 | 漫画家の樹村みのりさんと対面する。 |
1978年1月 | 30歳 | ささやななえさん、樹村みのりさん、編集さんと京都取材旅行をする。この日の東京駅12時発のひかりには、伝えるべき人のいない車内放送がむなしく流れたらしい。 |
1980年頃 | 33歳 | 東京小平市に「あやかしの館」のモデルとなる白亜の洋館を建てる。 |
1983年 | 36歳 | 「日出処の天子」にて第7回講談社漫画賞受賞。 |
1985年8月 | 37歳 | 実父が亡くなる。 |
1988年11月 | 41歳 | 愛猫ケイト亡くなる。享年17歳。 |
1992年 | 45歳 | アシスタントさんからサビをもらう。 |
続く・・ | ||
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